4/8 こんなところに電球が(!)

本日4/8(土)はオーケー南大沢店前→オーケー多摩大塚店前→京王堀之内駅→南大沢駅という駆け足での街宣。京王堀之内では、一人の女性の方がじっと聞いてくださいました。また、ポスティングにご協力いただいたMさん(ママ友)が、偶然通りかかり「頑張って!」と。

聞いてくださる方がいると、どこかでスイッチがオンになるようです。心の中の扉が開いて、言葉が口をついてあふれ出してくる。それはあたかも、自分でも気づいていなかった回路に電流が流れ、明るい光に目を奪われてはじめて「ああ、こんなところに電球があったのね」と気づくようなものです。

私たちは、自分のことなら自分がよくわかっている思いがちだけれど、もしかしたら大きな誤解をしているのかもしれません。
実は、そんなに強くないし、そんなに真面目でもない。
歯を食いしばって頑張り続けられるほど、粘り強いわけでもない。
好きなことなら苦にならないけど、興味のないこと付き合わされるのは苦痛。


これってわがままなのかな?根性がないのかな?いやいや、これって当たり前でしょ。

人は生き物。生き物とは、水が入ったやわらかい膜。緩やかにたゆたい、一定のリズムで波打ちながらゆったりと進む。ある者は光のほうへ、ある者を光を避けて。ある者は温かい場所を求めて、ある者は冷たさを求めて。それぞれは自分にとって心地よい環境を求めて探求することあきらめようとはしない。それが生命の生存戦略。多様性こそが私たちが生き延びるための生存戦略。

多様性を認めるだけでなく、それを応援しよう。もっとユニークさを発揮できるように。それぞれがわが道を行く、どこまでも行く。仲間は少なくなっていくだろう。孤独になるだろう(孤立ではない)。でも、それは、悲しむべきことだろうか。ほかの誰にも到達できない点に達する。それは一つの物語であるに違いない。あなたが満足する地点に達した時、あなたのそばにギャラリーはいないかもしれない。でもあなたがひたすら努力して満足する地点に達したことを、一人の人が知っている。それは、ほかでもないあなた自身だ。

孤独を恐れないようにしよう。それぞれの人が自分らしい生き方を探すためには、痛みや悲しみは避けては通れないのかもしれない。尊厳ある人生のために、痛みや悲しみが避けて通れないなら、やはり私たちは他者を必要をする。自分では自分の背中を撫でてあげることができない。
つらい時、誰かに背中を撫でてもらおう、「大丈夫だよ」と。
誰かが泣いていたら背中をさすってあげよう、「そばにいるよ」と。

そして、また立ち上がって歩き出すためにはエネルギーを必要とする。それは、他者からのエコーだ。自分から発した波は他者の存在を受けて反響してくる。反響した波を受けて、私たちは自分が発信したことを確認し、他者の存在を身近に感じる。私たちは他者の存在なしでは自分の輪郭を描くことができない。私たちにとっては、共同体のなかで生きていくことが、最も自然で楽に呼吸ができる生き方だ。

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