イドコロを作る

「イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方」伊藤洋志著 東京書籍

この本は、私が理想とする街を考えるうえで参考になりました。Amazonで序文が公開されていましたので、この本の紹介に変えて一部を抜粋し(テキスト紫色部分)、そのあとに私が自分のノートにメモった文章を続けます。

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「序」 イドコロの必要性

振り返っていると、私の「新社会人」時代もイドコロ不足で社会の病原体にかなりやられていた。まず過労で身体が参ってしまい、食生活は荒れるわ、肌は荒れるわ、ハーゲンダッツを食べないと眠れなくなるわ、うっかり会食した相手からマルチビジネスの勧誘電話を受けるわ、なかなか不調をきたしていた。これは新入社員の薄給と、小さい企業特有の人間関係のプレッシャー、過労による寝不足、などが重なってのことだが、本来はこういう事態になったら自力でなんとかするのは簡単ではない。他人の助けが必要な局面である。新入社員は移住したてで助っ人になる人が乏しい。「広場のない都市化がどんなものであるか」を就職上京組の私もいやというほど思い知ることになったのである。

一見無駄に見える各種のイドコロが減り、個人が孤立すると、他者の助けが得られれば難なくクリアできることが、とてつもなく困難になってしまう。子育てなどはその典型だろう。30分だけでも子供を誰かに見てもらえたら、とかそういうことが簡単にできない。良い例で言えば、外国から移民した方がやっているお店に子供連れでいくと、かなりの割合で子供をあやしてくれる。子供を10分程度見てくれているだけで自分の食事に集中でき、何より精神的負荷が軽くなる。こういうものもイドコロの一つだ。とにかく、常にのしかかる精神負荷を一瞬でも軽くするような場所が少ない。これが問題と言える。
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・混迷の時代はごく小さな人の集まりで前向きな会話ができることが力になる。アイデアを練り上げ実行に移すには話し相手が要る。答えがなくそもそも問いも見えない中では、他者と話すことから何かを見出していかなければならない。その相手が人間でもいいし、茶杓でも燕でもあるいは天体でも化石でもよい。(p.33)

・自分の意思ではなく他人の意思で構想するのは人間の神経を消耗させる。(p.36)

・(寝屋子制度は)親を複数持てることで安定性が高まる。いずれ協力して働くことになる子供たちが時間をかけて暮らし方や喧嘩を収めるトレーニングができる。家に兄弟が少なくても同年代の親しい間柄がつくれる。(p.151)

・昭和後半に確立した核家族はもともと集団で子育てしていた現生人類の習性にはあっていないように思われる。日本においてこれがある時期に成立したのは右肩上がりの一時的な経済情勢と女性に過大な負担を押し付けることで乗り切っただけである。(p.155)

・現代のきつさは時代状況が変わっているのに核家族時代に強化された一親等以内の血縁関係者だけで生活を完結させたいといけないという思い込みは温存されていることだ。・・・(略) 他人とも連携する家族の運営方法、つまり人間が集団で協力して生活を送ることはマニュアル化しきれない術の集積だ。先に出てきた寝屋子制度のように生活の中で身近な実例を観察して学んでいくところが大であろう。

・ ・・・戦争が終わってから75年しか経っていない・・・(略)。ある特殊な状況に置かれた世代ができると、その下の世代や孫の世代まで影響が及ぶ。・・・激しい戦争体験が当人の精神性に与えた影響は薄まりながらも次の世代に伝播する。・・・これに関して社会学者の小倉千賀子氏が著作『結婚の条件』(朝日文庫)で・・・戦中、終戦の混乱で「頼れるのは身内だけ」という観念が浸透した結果、他人が信頼できるという考えた育たず、未婚が進行した、という仮説・・・。(p.157) 

・現代の生活共同体、一般的には「家族」と呼ばれるものの運営については・・・少なくとも血縁関係以外の協力関係つまり獲得系のイドコロと連携させることが重要だ。・・・血縁外の協力者がいないと人手が足りないからである。もう一つには血縁を市場とすると他人への信頼感や共感が後回しになる。

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