母親の孤独とは何か②
「母親の孤独から回復する 虐待のグループワーク実践に学ぶ」村上靖彦 講談社選書メチエ
世界とのつながりの実感が持てずに存在感が希薄だった者たちが、グループという場で語ることで、偽りの仮面の下で泣いていた自分を発見し、そっと近づき、その時の感情を声に出して語ることで、「いまここ」に生きている自分を感じることができるようになるという。とはいえ、深い傷を負った者たちが安心してそれぞれの傷に向き合える場を設置し、整えるためにファシリテーターには高度な知識と経験が求められる。参加者は、お互い住む場所も名前も知らない他人である。そこで呼ばれる名前は本名である必要はなく、本人が望む「呼ばれたい名前」である。そして、遠くから通ってくるものも、その場を整えるファシリテーターにとっても、儀式を執り行うかのような神聖な心境で臨んでいる。そして、孤独な人たちの語りにはしばしば美しいイメージが現れるという。
ーーーーーと、ここからは、この本を読んで触発された私の妄想が炸裂しますーーーーー
私は考えずにはいられない。ここにいる人たちは、必死で闘っている。外からはそうは見えないけれど、生きるか死ぬかの必死な闘いをしている。考えても見てほしい。あなたは毎日、気楽に生きていますか?この社会で生きていくための努力、生存戦略を特に考えもせず、フラフラと遊びながら適当にやってきた人はいますか?そんなことはないはずだ。誰だって必死に生きている。母親だって一人の人間だ。自分一人生きていくだけでも必死なのだ。それなのに、ほとんど無力な、もう一人の人間を抱えなければならない。自分(母親)が常に栄養を与え、適した温度と清潔さを保ち、子を襲うかもしれない暴力(災害や事件などの不幸)から守ってやらなければならない。自分自身の体調も体力もままならない。これは自然環境下の動物に例えたら、最大の危機的状況である。パニックにならないほうが不思議なくらいの状況である。
魚や鳥や弱い草食動物は大きな群れをつくる。単独でいたら、あっという間に食われてしまうからである。肉食動物も、例えばネコ科のライオンは、血縁関係のメスをメンバーとするプライドと呼ばれる群れをつくるし、イヌ科の狼はパックと呼ばれる雌雄のペアを中心とした社会的な群れをつくって、様々なリスクに対応している。人類も、言語を獲得し仲間に意志を伝えることで協力することを学び、支えあうことによって、ここまで進化することができた。人類にとっては仲間とともに子育てすることが大前提なのだ。
産業革命以降、資本主義という利益を生み出す発明に人類は夢中になった。日本においては、戦後の経済的成長は敗戦という屈辱を払いのける格好の手段となったのだろう、驚異的な集中力でもって戦後復興を成し遂げ、ついにはGDP世界一を成し遂げた。「効率的である」ことが優先されたのだ。トータルな人間であることよりも。男性はトコトン働かせたほうが効率が良い、女性はどうせ子育てで身動きとれない時期が来るのだから家で子育て家事に専念してくれたほうが効率的だと。
私たちはここ100年ほど、たまたま引き継いだ遺伝子がXYかXXで、男性でも女性でも半身を失うような生き方を強いられてきた。男性なら、強く丈夫で弱音を吐かず長時間働くことを、女性なら、優しく気が利き寛容で控えめであることを強要されてきた。
私は嫌だった。私は冒険したかった。人類誕生の地であるアフリカを出て、見知らぬ土地を求めて旅を続けた太古の人類のように。誰かが決めた道ではなく、自分の全身体と全知力でこの地球とがっぷり取っ組み合いをしたかった。きっと、全ての女性もそうだ。だって、出アフリカを果たした勇気ある祖先の子どもたちなんだもの。好奇心と勇気が私たちを進ませた。私が弱っている時は、仲間に手を引いてもらい肩を貸してもらい歩き続けた。目の前で仲間が崩れ落ちたら、その時は私が手を引いて肩を貸しただろう。私たちは自分の能力を、可能性を最大限引き出すことを希求せずにはいられない。
そして、母親は子を産み子を育むときは、自分の体は弱り行動範囲は狭まるにもかかわらず、人間2人の命を預からなくてはならない。半人前どころか、4分の1人前という不利な状況に追いやられるのだ。一人では子育てできない。この先、どんなに便利で手軽なサービスができたとしても孤独なままでは子育てはできない。私たちには栄養と生存に適した温度だけではなく仲間がそばにいるという安心感も欠かせないからだ。つながっているという共同体感覚。声にならないうめきを自分のことのように聴き取ってくれる相手がいてはじめて思いを言葉にすることができる。人がどんなにいても渋谷の交差点で、心をオープンにすることができないが、たった一人でも共感してくれる人には、隠していた本音が話せるように。
安心した環境があって、初めて安心して子供を育てることができる。一人では危機的状況なのである。危機的状況化では親は、いつ襲われるかわからないという心理状態に置かれる。そんな状況に母親をさらしておくことの危険性に、もう気づいてもいい頃だ。母親が安心して子育てできる環境を用意しよう。